受験勉強について考えるなら、できるだけ足踏みを減らした方がいい。自分に合った教材を使い、自分の現在地を見て、必要なことを順番に身につけていく。わざわざ遠回りをする必要はありません。
ただ、人生まで最短距離で進めばいいのかというと、私はそうは思いません。部活をする。友人とくだらない話をする。失敗する。寄り道する。そこで人と出会う。前回の記事でも書きましたが、そうした経験から学ぶこともたくさんあります。
そして、ここまで考えていくと、もう一つ気になることがあります。
教育熱心は子どもの幸せにつながるのか
教育熱心であることは、本当に子どもの幸せにつながっているのでしょうか。
私は東京で教員をしています。もちろん東京の家庭がすべてそうだと言うつもりはありませんが、教育にかなり熱心な家庭は少なくありません。
中学受験をどうするか。どこの塾に入れるか。偏差値はいくつか。どこの高校、どこの大学に入るか。その先で、どんな仕事に就くのか。子どもの将来を考えているからこそ、そうなるのだと思います。
私も、勉強なんてしなくていいとか、学歴なんて意味がないとか、そんなことを言うつもりはありません。むしろ勉強はした方がいい。以前の記事でも書いたように、学歴は人生を比較的無難に進めるための安全装置にもなります。
ただ、ときどき思います。
そこまでして手に入れようとしているものは、何のためなのでしょうか。
「何かのため」ではない時間も人生
以前、妻が私の実家について、こんな趣旨のことを言ったことがあります。
「教育の話ばっかりで、つまらない」
言われてみれば、確かにそうでした。どこの学校がいいとか、勉強をどうするとか、教育をどうするとか。そういう話をしている時間がかなり多い。もちろん私は教育の話が好きなので、それでも楽しいのですが、妻からすればそんな話ばかりされても面白くありません。
おいしいものを食べる。くだらない話をする。テレビを見て笑う。どこかへ遊びに行く。そういう時間は、何かのための準備ではありません。それ自体が人生です。
私は、人生を幸せに生きるためには、学力とは別の力もかなり大切だと思っています。景色を見てきれいだと思う。ご飯を食べておいしいと思う。誰かの言葉に心を動かされる。くだらないことで笑う。感受性が豊かであれば、同じ日常の中でも感じ取れるものは増えます。
人の気持ちに寄り添えることもそうです。友人関係でも、夫婦関係でも、家族関係でも、相手が何を感じているのかを考えられなければ、なかなかうまくいきません。どれだけ良い大学を出ても、どれだけ仕事で成功しても、それだけで人間関係までうまくいくわけではありません。
「成功」と「幸せ」は同じではない
人生で他人がうらやむような成功をすることと、その人自身が幸せに生きられることは、まったく別の問題です。だから私は、「子どもを成功させること」と「子どもが幸せに生きること」を、同じものとして考えない方がいいと思っています。
教育のために、今の幸せを減らしていないか
本来、子どもに良い教育を受けさせたいと思うのも、その子に幸せに生きてほしいからではないでしょうか。良い学校に行ってほしい。良い大学に行ってほしい。安定した仕事に就いてほしい。十分なお金を稼げるようになってほしい。それも結局は、その子に幸せに生きてほしいからだと思います。
ところが、幸せになるために教育しているはずなのに、教育のことばかり考えることで、今この瞬間に幸せを感じる時間そのものを減らしてしまってはいないでしょうか。
教育熱心であること自体が悪いわけではありません。勉強することも大切です。将来の選択肢を広げるという意味では、学力も学歴も大きな価値があります。
ただ、少しでも良い学校へ進ませることと、その子が幸せに生きられることは同じではありません。
では、実際にどうすればいいのか
では、実際にどうすればいいのでしょうか。高校生活をどこまで受験に使うのか。部活はいつまで続けていいのか。友人と遊ぶ時間はどこまで削るべきなのか。子どもの将来を考える親は、どこまで口を出すべきなのか。
ここまで書いておいて、「勉強も遊びも大切です」で終わるのでは、さすがに無責任でしょう。
この問いについて、私は自分なりの答えを持っています。次回は、もう少し具体的な話をしてみます。

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