教師は生徒より偉いのか――私が生徒を一人の人間として尊重する理由

以前、「努力できることは才能なのか――『努力不足』で片付ける前に」という記事で、ある生徒の話をしました。

最初はかなり反抗的だったのに、半年ほど経つ頃には勉強に向き合うようになり、「勉強、少しは楽しくなっただろ?」と聞いたら、「そうですね! 少しは!」と答えてくれた生徒です。

以前の記事では、どうすれば生徒が努力できるようになるのか、という視点から書きました。

今回は、この生徒との関わりをもう少し掘り下げながら、私が教師として大切にしていることについて書いてみようと思います。

それは、生徒を一人の人間として尊重することです。

こう書くと何か特別な教育方針のように聞こえるかもしれませんが、私にとってはごく当たり前のことです。

そもそも私は、年齢が上だから偉いとか、教師だから生徒より偉いとか、そういう考え方を持っていません。

大切なのは、誰が言ったかではなく、何を言ったか。その意見が正しいかどうかです。

目次

最初から私を嫌っていた生徒

以前、あるクラスの代行授業を担当したことがありました。

その日、私は授業開始のチャイムが鳴っている最中に教室に入りました。正確には、20〜30秒ほどの遅刻です。

授業を始めようとして、前の授業を担当していた先生が配っているはずのプリントについて尋ねたところ、生徒たちから「もらっていません」と言われました。

そのプリントがなければ授業ができないので、慌てて取りに戻りました。

結果として、授業を始めるまでに5分ほどかかってしまったわけです。

すると、一人の生徒が文句を言ってきました。

「何で遅刻してきてるんですか」

いや、プリントが配られていなかったから取りに戻ったんだけど……。

事情を説明すると、周囲の生徒たちも納得していました。

ところが、その生徒だけは食い下がってきました。

「でも、最初に20〜30秒遅刻したのは遅刻でしょ」

という話です。

なるほど。確かにその通りです。

プリントを取りに戻った事情はともかく、私が最初に20〜30秒遅刻したのは事実です。そこは私が悪い。

だから、普通に謝りました。

ただ、後から他の生徒に聞いて、少し事情が分かりました。

どうやらその生徒は、以前から私のことが大嫌いだったらしいのです。

しかも、私が代行授業に来ると聞いた時点で、反抗的な態度を取ろうと決めていたとのことでした。

もっとも、私はその生徒との間に何があったのか、全く覚えていません。

おそらく、以前に登下校中の態度などを注意したことがあったのでしょう。道に広がって歩いたり、スマートフォンを見ながら歩いたりしている生徒には普通に注意するので、そのあたりが原因だったのかもしれません。

もちろん、これは私の推測です。

いずれにしても、その生徒は初めから私の授業を聞く気がなかったようで、授業中も居眠りをしていました。

そこで、私はその生徒をかなり強く叱りました。

教師の20〜30秒の遅刻には厳しく文句を言うのに、自分は授業を聞こうともせず寝ている。

それはおかしいでしょう。

他人に責任を求めるのであれば、自分もそれに見合った態度を取るべきだろう。

ただし、私は腹が立ったから叱ったわけではありません。

教育上必要だと判断して、意図的に強い態度を取りました。

私は、生徒に対して本心から怒りに任せて叱ることはありません。

強く叱る必要があれば、強く叱る。穏やかに話した方がよければ、そうする。

教師が自分の怒りを発散するために生徒を叱るのは、違うと思っています。

このときも、それだけの話です。

その生徒と、改めて話した

その後、その生徒が赤点を取り、進級が危うくなったことがありました。

そこで、本人と改めて話す機会がありました。

ただ、私は単純に「もっと勉強しろ」とか「教師に反抗するな」と説教したかったわけではありません。

むしろ、なぜこの生徒はそこまで反抗的なのだろう、ということが気になっていました。

実は、私自身も高校生の頃はかなり好き勝手にやっていました。

親に反抗して何度も家出をしましたし、18歳になる前から雀荘にも出入りしていました。

親の言うことなんて知ったことか、という感じです。

今の立場から考えれば、当然褒められた行動ではありません。

でも、実際に自分もそういうことをしていたわけです。

そんな私が、大人になって教師という立場になったからといって、生徒に向かって「正しい行動をしなさい」と偉そうに説教するのも、何だかおかしな話でしょう。

だから私は、生徒に対して自分の過去を話すこともあります。

別に、自分が高校生の頃に正しい行動ばかりしてきたとは思っていません。

むしろ、そういう経験があるからこそ、生徒が大人に反抗したくなる気持ちも、ある程度は想像できます。

もちろん、だから何をしても許されるという話ではありません。間違っていることは指導します。

ただ、最初から教師という立場で正しさを押しつけるのではなく、まずは本人の話を聞きたいと思っています。

なぜそんなことをするのか。何か事情があるのか。話したいことがあるなら聞かせてほしい。

そういう姿勢です。

その生徒と話したときも、基本的には同じでした。

正直、当時どんな言葉を交わしたのか、細かいところまではもう覚えていません。

ただ、上から一方的に説教するのではなく、本人の話を真剣に聞いたことは覚えています。

すると、意外なことに、比較的短い時間の対話で、生徒の態度が変わっていきました。

それまで反抗的だった生徒が、こちらの話を素直に受け止めるようになったのです。

もちろん、それですべてが解決したわけではありません。

その後も少しずつ変わっていき、半年ほど経つ頃には、以前とはかなり違う姿になっていました。

勉強にも取り組むようになり、以前の記事で紹介したような会話ができる関係になったわけです。

当然ながら、生徒の話を真剣に聞けば、誰でも必ず変わるという話ではありません。

ただ、あのとき反抗的な態度だけを見て、一方的に説教を続けていたら、あのような関係にはならなかったと思います。

教師だから偉いわけではない

私は、教師と生徒は人間として対等だと思っています。

もちろん、立場や役割は違います。

教師には生徒を指導する権限と責任がありますし、一般的には教師の方が多くの知識や経験を持っています。

だから、その経験をもとに指導します。

でも、それは教師が生徒より偉いからではありません。

単に、私が生徒より様々なことを知っているからです。

逆に、生徒の方が詳しいことがあれば、私が教わることだってあります。そこに抵抗は全くありません。

教師が間違っていれば、生徒が反論したっていい。実際に間違っていたら、教師が謝ればいいだけの話です。

ただし、何を言ってもいいわけではありません。

生徒が教師に対して暴言を吐いたなら、当然注意します。

でも、それは「教師に向かって何という口の利き方だ」という話ではありません。

一人の人間に対して、その言い方をしていいのか。

私が問題にするのは、そこです。

相手が教師でも、友達でも、後輩でも同じです。

生徒を尊重することと、生徒の言動を何でも認めることは違います。

信頼関係は、最初からあるものではない

学校では「生徒との信頼関係が大切だ」とよく言われます。

それは私も同感です。

ただ、そもそも初めて会った教師と生徒の間に、信頼関係なんてあるのでしょうか。

あるわけがありません。

担任だから、生徒が最初から信頼してくれるわけではない。教師という肩書きだけで信用されるわけでもない。

信頼関係というのは、日々の関わりの中で築いていくものです。

そして私は、信頼関係は一方通行では成立しないと思っています。

教師が生徒の意見を聞かず、頭ごなしに否定する。それでいて、生徒には教師を信頼しろと言う。

それは少しおかしくないでしょうか。

だから私は、生徒の意見を聞きます。自分が間違っていれば謝りますし、何か事情があるなら真剣に話を聞きます。

もちろん、間違っていると思えば指摘しますし、必要なら厳しく叱ります。

そういう関わりを積み重ねることで、自然と信頼関係が生まれてくるのだと思います。

ただ、順番は逆にしたくありません。

私は、生徒に信頼されるために尊重しているわけではないのです。

そもそも、一人の人間として尊重するのが当然だと思っています。

その結果として、信頼関係につながっているのだと思います。

自由にしていい。でも、他人への配慮は忘れるな

私は開成高校という自由な学校で育ちました。

自分自身、その環境が非常に良かったと思っています。

だから、生徒にもできるだけ自由に育ってほしいと思っています。

ただし、自由だから何をしてもいいわけではありません。

私が特に厳しく指導するのは、他人への配慮を欠いた行動です。

例えば、修学旅行で周囲の人に迷惑をかけながら大騒ぎしているとき。

あるいは、登下校中に友達との会話に夢中になり、道いっぱいに広がって車の通行を妨げているとき。

そういうときは、かなり厳しく叱ります。

周りを見ろ、と。

自分たちが楽しいからといって、他人に迷惑をかけていいわけがないでしょう。

私は、義理や人情、礼儀、他人への思いやりといったものを非常に大切にしています。

生徒には自由に育ってほしい。でも、周囲の人間への配慮は忘れてほしくない。

そこは譲れない部分です。

私の教育方針が唯一の正解ではない

ちなみに、私は学校全体として「教師や年長者を敬いなさい」と指導することが間違っているとも思っていません。

そうした指導を通して、礼儀や他人への配慮を身につけることにも意味はあるでしょう。

私はその方法を取らないというだけです。

学校にはいろいろな考え方の教師がいて、生徒が異なる価値観に触れることも教育の一つだと思っています。

だから、私の教育方針が唯一の正解だと言うつもりはありません。

ただ、私は子どもの頃から、年齢や立場だけで人間の上下が決まるとは思っていませんでした。

そして、自分が大人になった今も、その考え方は変わっていません。

教師には、生徒を指導する責任があります。

だからこそ、間違っていることは指摘しますし、必要なら厳しく叱ります。

でも、それは教師が生徒より偉いからではありません。

相手を一人の人間として尊重し、そのうえで、教師として必要なことをする。

私は、そういう関係を大切にしています。

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この記事を書いた人

開成中学・高校を経て東京大学へ進学。現在は高校教員として数学・物理を中心に教え、進路指導も担当。

指導の中心は偏差値50前後の生徒ですが、これまで偏差値30程度から70程度まで、幅広い学力層の生徒を指導してきました。通常の授業に加え、希望者向けの応用授業も担当しています。

大切にしているのは、生徒個人に合った勉強法や教材を考えることです。

※このブログは所属先とは関係のない個人ブログです。

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