学校に行く意味とは?――「学生の本分は勉強」を考える

前回の記事では、「勉強すること」と「受験勉強すること」は別だ、という話を書きました。

勉強すること自体は大切です。でも、それが必ずしも大学受験のためである必要はありません。

では、もう一つ考えてみたいことがあります。

そもそも、学校は何のために行くのでしょうか。

よく、

「学生の本分は勉強だ」

と言います。

私は、この言葉自体はその通りだと思っています。

ただし、少し引っかかるところがあります。

ここでいう「勉強」とは、何なのでしょうか。

国語、数学、理科、社会、英語を勉強することだけなのでしょうか。

私はそうは思いません。

目次

「学生の本分は勉強」は、その通りだと思う

学校では、まず教科を学びます。

これは当然大切です。

読み書きができる。計算ができる。社会の仕組みを知る。自然現象を知る。外国語に触れる。

こうしたものは、社会で生きるための土台になります。

そして、それぞれの教科には違う役割があります。

国語では、文章を読み、他人の考えを理解し、自分の考えを言葉にする。

数学では、条件を整理し、筋道を立てて考える。

理科では、身の回りの現象に「なぜ?」と疑問を持ち、世界の仕組みを知る。

社会では、歴史や政治、経済、地理を通して、自分が暮らしている社会がどうできているのかを知る。

英語を学べば、日本語だけでは触れられなかった情報や人、文化にも接することができます。

美術や音楽、技術、家庭科、体育だって同じです。

それぞれが、今まで知らなかった世界への入口になります。

学校は、世界への入口をたくさん渡す場所でもある

人は、知らないものには興味を持てません。

物理という世界を知らなければ、物理を好きになることもない。

歴史を知らなければ、歴史にハマることもない。

絵を描いたことがなければ、自分に絵の才能があることにも気づかないかもしれません。

だから学校では、本人が今興味を持っているものだけではなく、いろいろなものに触れさせます。

全員を数学者にする必要はないし、全員を歴史好きにする必要もありません。

でも、

「世の中には、こんなものもある」

と知ることには意味があります。

少し知る。

すると疑問が生まれる。

もっと知りたくなる。

そこから自分で学び始める。

学校の教科には、そういうきっかけを作る役割もあると思っています。

知識が増えると、世界の見え方が変わる

私は、学ぶことで世界の解像度が上がると思っています。

何も知らなければ、目の前で起きていることを「そういうものなんだ」で終わらせてしまいます。

でも少し知識があれば、

「なぜこうなるんだろう」
「これはどういう仕組みなんだろう」
「この制度はなぜこうなっているんだろう」

と考えられる。

疑問を持てる。

そして調べられる。

世界に何も興味を持たず、与えられたものをただ受け取るだけになれば、自分で考えるための材料そのものが増えていきません。

だからこそ、幅広く学ぶことには意味があります。

以前の記事で、私は「学習とは、その経験によって次の自分が変わること」だと書きました。

学校の教科は、そのための材料を大量に渡してくれるものでもあります。

でも、教科だけが「勉強」なのか

ここで最初の話に戻ります。

「学生の本分は勉強だ」

私はこれには賛成です。

でも、勉強=教科書の勉強だと考えると、少し違うと思っています。

学校には、たくさんの人間がいます。

気が合う人もいる。
嫌いな人もいる。
自分勝手な人もいる。
優しい人もいる。
部活に全力で取り組む人もいる。
喧嘩することもある。
誰かを傷つけてしまうこともある。
自分が傷つくこともある。
失敗することもある。

その中で、

どうやって友達と付き合うのか。
どういう言い方をすると人は傷つくのか。
嫌なことをされたときにどうするのか。
集団の中でどう振る舞うのか。
自分はどんな人間なのか。

こういうことも大量に学びます。

私は、これも全部「勉強」だと思っています。

学校は、社会の中で生きることを学ぶ場所でもある

教科を学ぶ。
人と関わる。
失敗する。
怒られる。
部活に全力で取り組む。
誰かに助けてもらう。
自分が誰かを助ける。
思い通りにならない経験をする。

これらも、社会に出てから必要になる力につながっています。

だから、

「教科学習」と「社会勉強」のどちらが大切か

と分けて考えること自体が、少し違うのかもしれません。

どちらも学校で行う「学び」です。

そう考えると、

「学生の本分は勉強だ」

という言葉も、私はかなり納得できます。

ただし、その勉強をテストの点数を上げることだけに限定しないのであれば、です。

教科を一番上に置く必要はあるのか

学校で教科を学ぶことは重要です。

そこは全く否定しません。

でも、

「授業が一番大切で、それ以外はその次」

と単純に順位をつける必要があるのかは、私は疑問です。

授業でしか学べないこともあります。

友達との関係からしか学べないこともあります。

部活動でしか得られない経験もあります。

失敗したからこそ分かることもあります。

全部ひっくるめて学校生活です。

だから私は、学校の価値を偏差値やテストの点数だけで測るのは狭すぎると思っています。

だから私は、授業中に結構脱線する

私は数学の授業中、結構脱線します。

進路の話。
仕事の話。
お金の話。
人間関係の話。

どういう行動をすると少し幸せに生きられるのか。

数学の授業なのだから数学だけやれ、と言われれば、その通りかもしれません。

でも私は、そういう話も「勉強」だと思っています。

10年後に私が教えた公式を全部忘れていても、授業中に話した何か一つが残っている。

それでもいいと思っています。

学校は、大学に入るためだけの場所ではありません。

教科を通して世界を知る。
知らなかったものに興味を持つ。
自分で考える材料を増やす。
人と関わる。
失敗する。
自分について知る。
そして少しずつ、社会の中で生きる方法を学ぶ。

そういうもの全部を含めて、「学生の本分は勉強」なのではないでしょうか。

だから私は、教科学習だけでなく、人間関係や失敗、回り道から学ぶ経験も同じくらい大切にしてほしいと思っています。

回り道が悪いわけでは無い。そこで学ぶことは沢山ある。そしてそれが個性となり、強さになる。

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この記事を書いた人

開成中学・高校を経て東京大学へ進学。現在は高校教員として数学・物理を中心に教え、進路指導も担当。

指導の中心は偏差値50前後の生徒ですが、これまで偏差値30程度から70程度まで、幅広い学力層の生徒を指導してきました。通常の授業に加え、希望者向けの応用授業も担当しています。

大切にしているのは、生徒個人に合った勉強法や教材を考えることです。

※このブログは所属先とは関係のない個人ブログです。

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