前回の記事では、「偏差値30から東大に行けるのか」という話を書きました。
その中で、同じ偏差値30でも、その中身は全く違うという話もしました。
では、学習の土台が無い偏差値30と40では何が違うのか。
知識量?理解力?
私がこれまで生徒を教えてきて、一番大きいと感じるのはそこではありません。
「学習によって、自分自身を更新できるかどうか」
私はここに、大きな違いがあると思っています。
「分かった」のに、次につながらない
前回話したように、偏差値30台の生徒はどうなるか。
かなり丁寧に説明すれば、その場では理解します。
「わかった」とも言います。
実際、その直後なら問題も解けます。
ところが、しばらくして同じような内容が出てくると、またほとんど最初から説明することになります。
前にやったことと、今回やっていることがつながっていないのです。
もちろん、人間なので忘れること自体は普通です。
問題なのは、
です。
問題を直しても、自分を直していない
例えば数学で、符号を間違えたとします。
1回目なら仕方ありません。
しかし、同じミスを何度かすれば、普通は少しずつ変わります。
「自分はここで符号を間違えやすい」と気づく。
途中式を増やす。最後に符号だけ確認する。
つまり、間違えた経験によって、次の行動が変わります。
ところが、
答えを見る。
赤で直す。
終わる。
そして次の問題でも、また同じように間違える。
私は、ここに学習が成立しているかどうかの大きな違いがあると思っています。
学習とは、「次の自分」を変えること
これは勉強だけの話ではありません。
初めて行く場所なら、道に迷うことがあります。
でも、同じ場所へ何度も行けば、
「前はここを曲がったな」
「この建物が見えたらもうすぐだ」
と、少しずつ覚えていきます。
何度も経験したのに、毎回完全に初めてのように地図を最初から調べる人は、あまりいません。
勉強も同じです。
一度問題を解いた。一度間違えた。一度説明を受けた。
その経験によって、次の自分が少し変わる。
私はそれが「学習」だと思っています。
だから、勉強した時間だけでは、本当に学習したかどうかは分かりません。
1時間問題集をやっても、その1時間によって本人が何も変わっていなければ、学習としてはかなり弱い。
逆に、たった数問でも、
「自分はここを間違えやすい」
「この考え方は前の問題でも使った」
「次はこうしよう」
と何かが残れば、次の自分は少し強くなっています。
理解力が低いから伸びないわけではない
ここは重要です。
理解するのが遅い生徒でも、伸びる生徒はいます。
一度で覚えられなくてもいい。説明を何度聞いても構いません。
それでも、
「次はできるようになろう」
と思っている人は、少しずつ変わります。
前回より少し早く解ける。
前回より一つ多く覚えている。
同じ間違いをしなくなる。
時間はかかっても、経験したことが本人の中に蓄積されていきます。
逆に、その場では理解できても、
「分かった。終わり」
で終わってしまえば、なかなか積み上がりません。
つまり、
「自分にはできない」と諦めた人にも起こる
これは偏差値30台だけの話でもありません。
例えば文系の生徒で、
「もう数学は無理です」
と完全に諦めてしまった生徒にも、同じようなことが起こります。
問題は一応解く。説明も一応聞く。
でも、本人の中ではすでに、
「どうせ自分にはできない」
という結論が出ています。
すると、その問題から何かを得て、
「次は少しできるようになろう」
という意識もなくなっていきます。
要するに、
だから、問題を何問解いても、なかなか本人の能力につながりません。
これらが、偏差値30と偏差値40の一番の壁だと思っています。
次回は、「なぜそうなってしまったのか?」と、「正しい学習」についてもう少し掘り下げます。

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