「子供のうちは自由に」は正しいのか――小学生だからこそ勉強させる意味がある

ここ数回、高校生活や大学受験、浪人について書いてきました。高校生活では、受験勉強だけをする必要はない。何かに本気で取り組んでいるのであれば、部活でも趣味でもやればいい。そして受験生本人は目の前の受験に全力を尽くす一方で、親は必要なら浪人という選択肢を残しておけばいい。私はそう考えています。

ただ、ここで一つ疑問が出てきます。

では、子どもにはいつ頃から、どれくらい勉強させればいいのでしょうか。

目次

小学生だからこそ、勉強する意味がある

「小学生に勉強させるのはかわいそうだから、中学生くらいからでいい」

こういう考え方もあります。私は、むしろ逆だと思っています。

小学生だからこそ、ある程度しっかり勉強させる意味がある。

小学生の時期は、読む、考える、覚える、試行錯誤するといった、その後の学習の土台になる力を作る時期です。

読書の習慣もそうです。それまでほとんど本を読んでこなかった子に、中学生や高校生になってから突然「国語力がないから本を読みなさい」と言っても、なかなか読まない。もちろん後からでも変わることはできますが、小さい頃から本を読むことが普通になっているかどうかはかなり大きいと思っています。

立体感覚のようなものもそうです。積み木で遊ぶ。図形を見る。実際に物を触る。いろいろな方向から見る。そういう経験を小さい頃から積み重ねておいた方がいい。

だから私は、小学生の時期をただ遊ばせるだけで終わらせるのは、かなりもったいないと思っています。

小学生なんて、放っておけば普通は自分から勉強しません。ゲームがある。YouTubeがある。友達とも遊びたい。その状況で、「将来のために今のうちから算数と国語を頑張っておこう」と自分で考える小学生の方が珍しいでしょう。

だからこそ、この時期は親がある程度関わる必要があります。

少し強い言い方をすれば、私は「本人が嫌がるから」という理由だけで何もさせないことは、場合によっては「優しい虐待」に近いと思っています。

本人は楽しい。親も無理をさせていないので安心する。でも、その間に伸ばせたはずの能力をほとんど鍛えないまま時間だけが過ぎていく。そして高校生になった瞬間、「そろそろ大学受験だから勉強しなさい」と言う。それはさすがに無理があります。

中学受験は「頭を使う機会」として利用する

私は中学受験にもかなり肯定的です。

ただし、目的は「偏差値の高い中学校へ入れること」ではありません。ましてや「大学合格実績が高いから」という理由だけで志望校を決めるのは論外だと思っています。

それよりも、部活動に力を入れている。学校行事が盛んである。生徒の自主性を重んじている。その子がそこでどんな6年間を送るのか。その方がずっと大切です。

私が中学受験を勧めたい大きな理由は、小学生の時期にしっかり頭を使う機会を作れるからです。

算数で複雑な条件を整理する。文章を読んで意味を取る。知らないことを覚える。何度も失敗しながら解き方を考える。こうした経験を積むことで、単に中学受験の問題が解けるようになるだけではなく、読む力、考える力、処理する力そのものが鍛えられていきます。

私は普段「地頭」という言葉を使いますが、ここで言っているのは、生まれつきの頭の良さだけの話ではありません。問題を読んで整理する。考えてみる。失敗する。別の方法を試す。一度学んだことを次に使う。そういう、学習の土台になる能力です。

だからこそ中学受験を利用する。

私はそれくらいの感覚です。

中学受験に全振りするのも違う

ただ、ここで今度は逆方向に振り切れる人がいます。

「小学生の時期が大事なのか。じゃあ中学受験に全振りすればいいんだな」

それも違います。

朝から晩まで塾。大量の宿題。毎週のように偏差値を確認する。遊ぶ時間もない。本を読む時間もない。家族で出かける時間もない。そして本人がどんどん疲れて、勉強そのものを嫌いになっていく。

能力を伸ばしたくて勉強させているのに、その結果として心を病んでしまったり、好奇心や感受性まで潰してしまったりしたら本末転倒です。

大切なのは「メリハリ」

ここで大切なのが、メリハリだと思っています。

メリハリは小学生だけに必要なものではありません。中学生にも高校生にも、大人にも必要です。ただ、その習慣を小学生の頃から作れることに大きな意味があります。

勉強するときは集中する。遊ぶときは思い切り遊ぶ。一時間勉強すると決めたなら、その一時間はちゃんとやる。そのあとゲームをするならゲームをする。友達と遊ぶなら遊ぶ。家族で出かけるなら出かける。

ダラダラ三時間机に座らせるより、集中して一時間やって、そのあと遊んだ方がよほどいい。

そして、小学生が自分一人でこのメリハリを作れるとは限りません。だから親がうまく誘導してあげる。

「今はこれをやろう」
「終わったら遊んでいいよ」
「今日はここまで集中しよう」

そうやって、集中する時間と遊ぶ時間を切り替える習慣を作っていく。これも、小学生の頃に親が関わる意味の一つだと思っています。

一つのことに時間を全部使う必要はない

そして、私は一つのことに時間を全部使う必要もないと思っています。

勉強でも遊びでも、かけた時間と能力の伸びは単純な比例ではありません。

例えば、あることに100の時間を使ったときに能力が100まで伸びるとして、50の時間しか使わなければ能力も50にしかならない、というわけではない。最初のうちはものすごく伸びます。そして、ある程度できるようになると、同じ一時間を使っても少しずつ伸びにくくなっていく。

感覚的な話ですが、100の時間を使って100を取りに行くより、50の時間で70や80くらいまで持っていって、残りの50を別のことに使った方が、子どもの能力全体としてはずっと豊かになることがあります。

だから私は、いろいろなものに触れさせたい。

遊びだけ100にするのではなく、勉強もする。勉強だけ100にするのではなく、遊びもする。本も読む。ゲームもする。外にも出る。人とも話す。時間だけを見れば半分ずつでも、それぞれから得られるものが半分になるわけではありません。

もちろん年齢によって配分は変わります。

例えば小学校1、2年生なら、遊びが7~8割、勉強が2~3割くらいでもいいと思っています。一方で、中学受験をする小学校6年生なら、一時的に勉強が7~8割になる時期があってもいい。

これは正確な数字ではなく、あくまでイメージです。

大切なのは、ずっと一つに全振りする必要はないということです。小学生の6年間全体で考えれば、遊ぶ時期もあれば、勉強にかなり力を入れる時期もある。それでいいと思っています。

ゲームやYouTubeも「何を得ているか」で見る

そして、遊びにもいろいろあります。

例えばゲーム。

私はゲーム自体を悪いものだとは全く思っていません。私自身、ゲームは好きです。ただ、どんなゲームでも同じ能力を使うわけではありません。

反射神経を使うものもある。戦略を考えるものもある。地図を覚えるものもある。数字を計算するものもある。試行錯誤するものもある。何かを作るものもある。

だから、子どもがゲームをするのであれば、親がある程度「どんなゲームに触れさせるのか」を考えてもいいと思っています。どんなゲームをするのかによって、使う能力はかなり違うと思っています。

例えば私は、昔のゲームは子どもにやらせても面白いものがかなり多いと思っています。

スーパーファミコンくらいまでのゲームは、今ほど映像や演出に振り切ることができませんでした。キャラクターも小さいし、できることも限られている。その分、ゲーム性そのものや、どう攻略するのかという部分にかなり比重が置かれていました。

考えないと進めない。試してみる。失敗する。別の方法を考える。昔のゲームには、そういうものがかなり多かったと思います。

逆に、今のゲームは映像もすごい。キャラクターも大きい。物語や演出もかなり豪華です。もちろん、それ自体が悪いわけではありません。ただ、作品によっては映像や物語を楽しんで、難しいことをあまり考えなくても進められるものもあります。

同じ一時間ゲームをするのであれば、私は何をやらせるかも少し考えたいと思っています。

例えば『Minecraft』。三次元の空間に、自分で考えたものを実際に作っていく。頭の中で形を考える必要がありますし、「こうしたい」と思ったものを試行錯誤しながら形にしていくこともできます。

『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』もいいと思っています。広い世界の中で、どこへ行くのか、どうやってそこへ行くのか、この道具をどう使うのかをかなり自由に考えられます。

『ポケットモンスター』も、本気でやればかなり考えます。タイプ相性、能力値、技の組み合わせなどを考える。対戦までやれば数字にもかなり触れることになります。

『桃太郎電鉄』なら、日本全国の地理や名産品に興味を持つきっかけにもなります。

一方で、ほとんど何も考えずに進められるゲームもあります。別にそれをやってはいけないと言いたいわけではありません。楽しいなら、それはそれでいい。

ただ、小学生の時間は有限です。ゲームもやらせるのであれば、「このゲームを通してどんなことに触れるのか」くらいは、親が少し考えてもいいと思っています。

YouTubeだって同じです。延々とおすすめ動画を流し続けることもできる。一方で、宇宙、生き物、料理、歴史など、興味を持ったものをさらに調べるためにも使えます。

「ゲームだから悪い」「YouTubeだから悪い」という話ではありません。

その時間で何を得ているのかを見る。

私はそこが大切だと思っています。

「学べば自分は変わる」という経験を作る

そして私は、高校生になってから「勉強なんてどうでもいい」「とりあえず大学には行く」という状態になる原因の一つも、ここにあると思っています。

そういう生徒が、高校3年生になって突然できあがったわけではありません。

小学生、中学生の頃から、分からないことを調べる。できなかったことをできるようにする。失敗したらやり方を変える。そうやって自分を少しずつ変えていく経験が少なかった。

すると、高校生になってもその延長になります。

成績が低い。でも、できるようにするために何かを変えようとはしない。大学受験が近づいても、何となく受けられる大学を探す。そこに強く行きたい理由があるわけでもない。そして、そのまま何となく大学へ進む。

以前、浪人について書いたとき、「浪人を勧める意味があまりない生徒もいる」と書きました。

浪人という一年を使ってまで行きたい大学があるわけでもない。それまで勉強してこなかったのに、「浪人すれば何となくもう少し良い大学に行けるかな」という程度なのであれば、私は浪人を勧めたいとは思いません。

でも、そういう生徒が高校3年生になって突然そうなったわけではないんですよね。

もっと前から、学ぶことで自分を変えていく経験が少なかった。

その延長に高校生活があり、その延長に大学受験がある。私は、そこにも小学生の頃の教育がかなり関係していると思っています。

だから、小学生のうちに勉強させる意味は、将来の入試問題を早く解けるようにすることではありません。

学べば自分は変わる。努力すれば、昨日できなかったことができるようになる。分からないことがあれば、調べたり考えたりすればいい。

そういう感覚を、小さい頃から持たせることだと思っています。

小学生ほど親が関わり、成長するほど手を離す

そして、親の関わり方は年齢とともに変えていく。

小学生の頃は、かなり親が関わっていいと思っています。勉強する時間を作る。何をやるかを決める。メリハリをつける。読書や遊びも含めて、いろいろなものに触れる機会を作る。必要なら塾に入れる。ある程度能力がついてきたら、中学受験のように少し高い負荷をかける。

本人任せにはしない。まだ自分で長期的な判断をするのが難しい年齢なのだから、大人がある程度レールを敷いていいと思っています。

中学生になったら、少しずつ本人に渡していく。

中学受験をしてある程度学力の高い学校へ入れば、学校の授業自体もそれなりに難しくなります。学校についていくだけでも一定の勉強量になります。だから私は、中学生になったら小学生の頃ほど細かく管理しなくてもいいと思っています。

学校の成績を見る。あまりにも崩れていれば声をかける。それくらいでいい。自分で予定を考える。失敗する。どうすればいいのか考える。そういうものも含めて、少しずつ本人に渡していく。

そして高校生になったら、私はさらに離れていいと思っています。

極端に言えば、学校の成績が多少悪くても、本人が何かに本気で打ち込んでいるのであれば、それほど気にしなくてもいいと思っています。

部活でもいい。趣味でもいい。学校行事でもいい。自分で何かを選び、それに全力で取り組んでいるのであれば、もう親が横から全部管理する年齢ではありません。

逆に、何にも取り組まず、ただ毎日時間を潰しているだけなら、「それなら勉強しろ」と言っていいと思っています。

つまり、私の考えは、

小学生ほど親が関わり、成長するほど手を離していく。

です。

ところが、実際には逆になっている家庭があります。

小学生の頃は「まだ小さいから自由にさせてあげたい」と何もさせない。中学生になっても本人任せ。そして高校生になり、大学受験が近づいた途端に、「勉強しなさい」「その大学ではダメ」「部活はやめた方がいい」と急に親が強く介入する。

私は、それでは逆だと思っています。

親が一番関わるなら、小学生の頃です。その時期に勉強する習慣を作る。本を読む。集中する。遊ぶときと学ぶときのメリハリをつける。物事に疑問を持つ。考える。試行錯誤する。

そして当然、遊ぶ。感動する。いろいろな場所へ行く。人と関わる。

一つの能力を100まで伸ばすことだけを考えるのではなく、いろいろなものに触れて、いろいろな能力の土台を作っておく。

そして成長するにつれて、少しずつ本人に渡していく。高校生になった頃には、親から言われたから何かをするのではなく、自分で何をするのかを決められるようになっている。

私は、それが一番自然だと思っています。

小学生に勉強させるのは、かわいそうなのか

「小学生に勉強させるのはかわいそう」

私は、そうは思いません。

むしろ小学生だからこそ、勉強する意味がある。

ただし、勉強だけをさせるのは違う。

遊ぶ。学ぶ。読む。疑問を持つ。考える。ゲームをする。感動する。いろいろなものに触れる。

そして、何かをするときには集中する。その中で、「学べば自分は変わる」という経験をたくさん積ませる。

そのうえで少しずつ親が手を離し、最後は本人に任せる。

私は、そういう教育がいいと思っています。

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この記事を書いた人

開成中学・高校を経て東京大学へ進学。現在は高校教員として数学・物理を中心に教え、進路指導も担当。

指導の中心は偏差値50前後の生徒ですが、これまで偏差値30程度から70程度まで、幅広い学力層の生徒を指導してきました。通常の授業に加え、希望者向けの応用授業も担当しています。

大切にしているのは、生徒個人に合った勉強法や教材を考えることです。

※このブログは所属先とは関係のない個人ブログです。

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