「もっと努力しろ」
勉強ができない生徒に対して、よく使われる言葉です。
でも、
「努力しろ」で努力できるなら、そもそも苦労しません。
私は、努力できる力そのものにもかなり個人差があると思っています。
遊びを途中でやめられるか。目の前の誘惑を我慢できるか。面倒なことを後回しにせずにできるか。嫌なことを長く続けられるか。
こういうものには、生まれつきの気質も含めてかなり差があります。
そして私は、多分かなり意志が弱い方です。
誘惑にも普通に負けます。ゲームが面白ければゲームをします。他に楽しいことがあれば、そっちに行きます。
「やるべきことだから」という理由だけで、嫌なことを毎日コツコツ続けられるような人間ではありません。
それなのに、勉強はそれなりにやってきました。
なぜなのか。
多分、
勉強もそれなりに面白かったからです。
ゲームの方が100倍面白い
もちろん、ゲームの方が100倍面白いです。
でも、勉強が完全につまらないものだったわけでもありません。
昨日分からなかったことが分かる。解けなかった問題が解ける。テストで点が上がる。難しい問題を自力で解ける。
こういう瞬間は、それなりに面白い。
だから、
「まあ、たまには勉強するか」
くらいにはなります。
私の場合は、多分それで十分でした。
意志の力だけで無理やり勉強していたわけではありません。
ゲームだって、強制されたらつまらなくなる
以前、
「毎日必ず何時間かゲームをしなければならない」
「ゲームを始める前に方針を決めて、必ずその通りに進めなければならない」
みたいなルールを作ったら、ゲーム自体が嫌になった、という話をどこかで読んだことがあります。
細かい内容はともかく、言いたいことはよく分かります。
例えば、
毎日19時から21時までは必ずゲームをする。
今日はこのゲームをやる。
今日はここまで進める。
最初に攻略方針を決める。
途中で気が変わっても、別のことをしてはいけない。
2時間経つまでやめてはいけない。
こんなことを毎日やらされたら、
多分ゲームも嫌いになります。
ゲームが楽しいのは、ゲームそのものが面白いからだけではありません。
何をするか。どう進めるか。いつやめるか。
かなりの部分を自分で決められます。
つまり、
自由だから楽しい
という面もあります。
勉強は、かなり自由を奪われやすい
ところが勉強になると、
「今日はこれをやりなさい」
「ここからここまで終わらせなさい」
「毎日何時間やりなさい」
「この問題集を使いなさい」
「この順番でやりなさい」
と、周りが全部決めることがあります。
もちろん、ある程度は必要です。
何を勉強すればいいのか分からない生徒を、「自由にやっていいよ」と放置してもうまくいかないことがあります。
でも、全部決めてしまったら、
自分の勉強ではなくなります。
言われたからやる。怒られるからやる。宿題だからやる。
それだけになると、勉強はさらに面白くなくなります。
全部自由にさせるのも違う。全部管理するのも違う。
この加減はかなり難しいと思っています。
ただ、
本人が自分で決められる部分は、できるだけ残した方がいい。
これはかなり大事だと思います。
成功体験がないと、そりゃつまらなくなる
自由だけではありません。
勉強を続けるには、成功体験もかなり重要です。
昨日できなかった問題が解けた。前回よりテストの点が上がった。英単語を覚えたから英文が少し読めた。数学の公式が使えるようになった。
そういう、
「やったら実際に前に進んだ」
という経験です。
逆に、
やっても分からない。問題集を開いても解けない。解説を読んでもよく分からない。テストを受けても点が上がらない。
これを何か月も続けて、
「もっと努力しろ」
と言われたら、そりゃやる気もなくなると思います。
「頑張れば少しはできるようになる」という感覚がないのに、頑張り続けるのはかなり難しいです。
褒めることも、普通に大事です
そして、できるようになったことを周囲が認めることも大事です。
「前よりできるようになったじゃん」
「ここはちゃんとできるようになったね」
「今回かなり頑張ったな」
と言われれば、普通に嬉しい。
嬉しければ、
「じゃあもう少しやるか」
と思うことがあります。
だったら教師や親は、そうなるように仕向けていいと思っています。
何でも褒めればいい、という話ではありません。
でも、
できたことを見つけて、ちゃんと認める。
これはかなり大事です。
本人ができるようになる。自分でも前に進んでいると分かる。周囲からも認められる。
そこまでそろえば、次の努力はかなりしやすくなります。
難しすぎる教材がまずい理由は、効率だけではない
このブログでは、難しすぎる教材を使うなという話を何度も書いてきました。
今までは主に、
「足踏みが増える」
「理解できないまま時間を使う」
「もっと適切な教材を使った方が効率がいい」
という話をしてきました。
でも、もう一つあります。
難しすぎる教材は、勉強そのものをつまらなくします。
人間、全くできないゲームを延々やらされても面白くありません。
敵に会った瞬間に毎回死ぬ。何をすればいいのかも分からない。攻略法を読んでも意味不明。
それで、
「もっと長時間やれ」
と言われても、普通は嫌になります。
勉強も同じです。
少し頑張ればできる。前よりできるようになったのが分かる。
その状態だから、
「もう少しやってみるか」
と思える。
成功体験は、単に気分を良くするためだけに必要なのではありません。
次の努力を生むために必要です。
勉強以前のところで止まっている生徒もいる
以前、高校2年生で、かなり荒れていた生徒がいました。
何に対しても投げやりで、何を言っても噛みつく。常に悪態をついているような状態でした。
勉強以前に、
「もう全部どうでもいい」
という感じだったと思います。
その生徒に、一度かなり真面目に向き合って話をしました。
こちらも適当に流さず、言うべきことはかなり真剣に言いました。
説教もしました。
すると、そこから少しずつ変わりました。
半年くらい経った頃には、以前とはかなり違っていました。
表情も穏やかになって、よく笑うようになり、勉強も頑張るようになっていました。
あるとき、
「勉強、少しは楽しくなっただろ?」
と聞いたら、
「そうですね! 少しは! 当時と比べてレベルですけど!」
みたいな返事が返ってきました。
この生徒を見ていると、人が努力できるようになる理由は、一つではないんだと思います。
少しできるようになる。それを誰かに認めてもらう。自分でも前よりできると思う。誰かが本気で自分に向き合ってくれる。
そういうものが重なって、
「もう少しやってみるか」
と思えるようになることがあります。
気持ちは、案外届きます。
少なくとも私は、そういう生徒を実際に見てきました。
「努力不足」は便利すぎる
生徒が勉強しない。宿題をやらない。成績が伸びない。
そんなとき、
「努力不足」
と言えば簡単です。
でも、
なぜ努力できないのか。課題が難しすぎないか。やってもできるようにならないと思っていないか。全部周りに決められて、自分の勉強ではなくなっていないか。できたことを誰にも認めてもらえていないのか。そもそも勉強どころではない状態なのか。
そこまで見ないと分からないことがあります。
もちろん、本当にただ怠けていることもあります。
本人が何もしなくていいという話でもありません。
最終的に勉強するのは本人です。
でも、
努力できるかどうかは、本人の意志だけで決まるわけではありません。
私が効率を気にする理由も、多分同じです
私が勉強の効率をかなり気にするのも、多分ここにつながっています。
私は、勉強だけをしていたいわけではありません。
だから勉強するなら、
できるだけ短い時間で結果を出したい。
同じ成績になるなら、3時間より1時間の方がいい。
残った2時間で別のことをすればいい。
だから、
自分に合った問題集を使う。分からないところまで戻る。理解してから問題を解く。意味のない周回をしない。できるだけ足踏みを減らす。
という話になります。
勉強が大好きだから効率化しているというより、
勉強以外のこともしたいから、勉強くらい効率よく終わらせたい。
多分、こっちの方が近いです。
努力できることは才能なのか
最初の話に戻ります。
私は、努力できることには先天的な部分もかなりあると思っています。
意志の強さも違う。誘惑への強さも違う。嫌なことを続けられる力も違う。
だから、
「努力できないのは本人の甘えだ」
と全部片付けるのは違います。
でも、人が実際に努力するかどうかは、それだけでも決まりません。
できる。
自分で決められる。
認めてもらえる。
この3つがあるだけでも、かなり違います。
少しできるようになる。少し自分で選べる。できたことを誰かに認めてもらえる。
そして、
「前よりちょっと面白い」
と思える。
そうなれば、意志が弱い人でも、
「まあ、もう少しやってみるか」
と思うことがあります。
少なくとも私はそうでした。
教師や親が、生徒の生まれ持った気質そのものを変えることはできないかもしれません。
でも、
努力してみようと思える状況を作ることはできる。
そこは、周囲がかなり意識していいところだと思っています。
「努力不足」
と一言で片付ける前に、
その生徒が努力したくなる状況を、こちらはちゃんと作れているのか。
私はまず、そこを考えたいと思っています。

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