正しい勉強法だけが正解ではない――失敗と回り道から学ぶこと

このブログでは、これまでかなり「正しい勉強法」について書いてきました。

自分に合わない難しい問題集を使わない。足踏みを減らす。理論を理解してから問題演習をする。「分かった」で終わらず、自分で再現できるところまで持っていく。

受験で結果を出したいのであれば、私は今でも全部正しいと思っています。

でも最近、少し別のことも考えています。

正しい方法を知っている教師は、それをどこまで生徒に教えるべきなのか。

正しい方法を全部教えれば、生徒は失敗しにくくなります。

でも、失敗しなくなることが、本当に教育として正しいのか。

ここは正直、かなり難しいと思っています。

目次

受験だけなら、回り道は減らした方がいい

まず、受験というものだけを考えるなら、回り道は減らした方がいいです。

受験には期限があります。

今の実力に合わない問題集に半年使うより、合う教材を使った方がいい。理解できていないのに問題だけ何周もするより、一度戻って理屈から理解した方がいい。

私が生徒を見ていて、

「その勉強法だと遠回りになる」

と思えば、普通に止めます。

時間がない受験生なら、なおさらです。

ただ、

受験で回り道を減らした方がいいことと、人生から回り道をなくした方がいいことは、全く別です。

私自身、かなり回り道してきた

私自身、高校生の頃から効率のいい勉強をしていたのかと言われれば、全然そんなことはありません。

かなり地頭で押し切っていました。

今の私が高校生の自分を見たら、

「そのやり方、もっとこうした方がいいよ」

と普通に言うと思います。

その後の人生も、別に最短距離を歩いてきたわけではありません。

かなり回り道しています。

自分では正しいと思って選んだのに、あとから、

「全然違ったな」

と思ったこともあります。

でも今になって思うのは、

その回り道が、ものすごく役に立っている

ということです。

教師をしていると、勉強、進路、浪人、学校生活など、いろいろな相談を受けます。

そのとき、自分がずっと正しい道だけを歩いてきた人間だったら、今ほどいろいろな話はできなかったと思います。

うまくいかなかったことがある。間違った選択をしたことがある。時間を無駄にしたことがある。

だから、「その気持ちは分かる」で終わらず、その先で何が起きるのかまで話せることがあります。

失敗した本人にしか手に入らないものは、確かにある。

私はそう思っています。

でも、生徒からしたら「なんで教えてくれなかったんだ」です

ここで難しくなります。

大人側が、

「失敗も経験だから」

と言うのは簡単です。

でも生徒からしたら、

「それ知ってたなら、なんで先に教えてくれなかったんだよ」

という話でもあります。

これは結構もっともです。

SNSなんかを見ていても、

「これ学校で教えてほしかった」

という話は山ほどあります。

お金、契約、税金、保険、進路、勉強法、人間関係、性に関すること。

社会に出てから、

「こんなの知っていたら失敗しなかったのに」

と思うことはいくらでもあります。

では、学校は全部教えるべきなのか。

それも無理です。

時間には限りがあります。

そもそも、全部先回りして教えることが、本当に本人のためになるのかも分かりません。

正しい方法を教えると、試行錯誤する機会は減る

例えば、生徒が難しすぎる問題集を使おうとしている。

私は、それが失敗しそうだと分かっている。

ではどうするのか。

始める前に、

「やめた方がいい」

と言うのか。

一週間くらいやらせて、

「やっぱり難しい」

と本人に気づかせるのか。

実際に一度失敗してから、

「だからこういう教材の方がいい」

と説明するのか。

正しい方法を最初から教えれば、効率はいいです。

失敗も減ります。

でもその代わり、

自分でやってみる。
失敗する。
なぜ失敗したのか考える。
やり方を変える。
もう一度試す。

という経験は減ります。

前回、

「何かを選ぶということは、何かを捨てるということ」

という話を書きました。

これも同じです。

正しい方法を教えることで、失敗する経験を捨てている。

そう考えることもできます。

だからといって、地雷まで踏ませる必要はない

もちろん、何でも失敗させればいいとは思いません。

取り返しがつかないこと。失敗したときの損失が大きすぎること。本人だけではまず気づけないこと。

そういうものまで、

「経験になるから」

と黙って見ているのは違います。

受験まで残り3か月しかない生徒が、明らかに間違った勉強をしている。

そこで、

「自分で気づくまで見守りましょう」

とは思いません。

それは試行錯誤ではなく、ただ時間を失うだけかもしれない。

だから今のところ私は、

地雷の場所までは教える。でも、どの道を歩くかまでは決めない。

くらいがいいのかなと思っています。

危険なことは伝える。メリットもデメリットも伝える。

でも最後の選択まで全部奪わない。

教師としてできるのは、そのくらいなのかもしれません。

失敗した瞬間に、その経験の価値は決まらない

以前、浪人について書いたのも、根っこは同じです。

私は最初から浪人を前提に勉強することには反対です。

現役で受かるつもりで全力でやった方がいい。

でも、結果として浪人したからといって、

「その一年は無駄だった」

とも思いません。

その一年で何を考え、何をやり直し、自分の何を知ったのか。

そこから得たものがあるなら、あとから意味を持つことがあります。

失敗した瞬間に、その経験の価値が決まるわけではありません。

これは受験以外でも同じだと思っています。

人生まで最短距離で進む必要はない

受験では、できるだけ足踏みを減らした方がいい。

これは変わりません。

でも人生まで、

常に最短距離。
常に正解。
常に効率よく。

で進む必要はないと思っています。

というより、多分そんなことはできません。

どこかで間違えます。どこかで失敗します。どこかで回り道します。

大事なのは、失敗を全部避けることではなく、

失敗したあとに、そこから何を持って帰るか。

だと思っています。

正しい勉強法はあります。

正しい勉強をした方が、受験では有利です。

でも、

正しい方法だけを教え続けて、失敗を全部取り除くことが教育として正しいのか。

私はそこには自信がありません。

取り返しのつかない地雷は教える。

それ以外は、少しくらい回り道してもいい。

今のところは、そのくらいに考えています。

ただ、

どこまでが「地雷」で、どこからが「経験してもいい失敗」なのか。

正直、今でも全く分かりません。

誰か正しい線引きを知っているなら、むしろ教えてほしいくらいです。

教育相談・個別指導・執筆・教材制作のご依頼は、お仕事のご依頼・教育相談・お問い合わせはこちらをご覧ください。

この記事が興味深かったら、下のバナーを押していただけると嬉しいです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

開成中学・高校を経て東京大学へ進学。現在は高校教員として数学・物理を中心に教え、進路指導も担当。

指導の中心は偏差値50前後の生徒ですが、これまで偏差値30程度から70程度まで、幅広い学力層の生徒を指導してきました。通常の授業に加え、希望者向けの応用授業も担当しています。

大切にしているのは、生徒個人に合った勉強法や教材を考えることです。

※このブログは所属先とは関係のない個人ブログです。

コメント

コメントする

目次