学校の先生は信用できるのか――授業の質がピンキリになる理由

唐突に話をぶった切ります。

少し前の日常記事で、希望者限定の応用授業をしたところ、基礎内容を理解していない生徒が複数いて、最終的に授業後に基礎から教え直すことになった、という話を書きました。

ちなみに、その日常記事とこの記事の投稿日がかなり空いていると思いますが、単純に予約投稿が溜まっているからです。この記事自体は、日常記事を書いた直後くらいに書いています。

そのとき最後に、

「……他の先生、普段どんな授業してるんだろう。」

と書きました。せっかくなので、今回はその話をします。

目次

学校の先生は信用できるのか

結論から言います。

身も蓋もないですが、本当に先生によります。

学校の先生って、本当にピンキリです。ものすごく授業がうまい先生もいる。教科の知識も深く、生徒がどこでつまずくのかも分かっていて、毎年授業を改善している先生もいます。

一方で、「なんでその教え方になるんだ?」と思う先生も普通にいます。

教員には授業について勉強する機会がほとんどない

では、なぜこんなに差がつくのでしょうか。

私は大きな原因の一つが、教員には授業について勉強する機会がほとんどないことだと思っています。

例えば、私の授業を見に来る先生はほとんどいません。別に私の授業だけではありません。他の先生の授業を日常的に見に行って、

「この説明いいな」
「この板書分かりやすいな」
「この発問は使えるな」

と技術を盗む機会自体がほとんどない。先生同士で授業についてじっくり話し合って、お互いのやり方を改善していく機会もほとんどありません。

なぜか。

単純に、教員が忙しすぎるからです。

授業をする。授業準備をする。試験を作る。採点する。成績をつける。担任業務をする。保護者対応をする。会議もある。学校行事もある。部活動もある。

そのうえで、「空き時間だから他の先生の授業を一時間見に行こう」なんて、なかなかできません。

これは私立でも同じです。

公立高校の先生をあまり信用していない理由

そして、ここからはかなり私見になりますが、私は基本的に公立高校の先生をあまり信用していません。私立の先生の方がまだマシだと思っています。

もちろん、公立にもものすごく優秀な先生はいます。逆に私立にも、とんでもない先生はいます。学校によっても全然違います。

そのうえでの、私個人の印象です。

理由の一つは、やはり忙しさです。

私が知っている中でも、うちの学校から公立へ転職した先生が何人かいます。その先生たちは、私が知る限り全員、

「公立に行って忙しくなった」

と言っています。

学校によって違いますが、公立では授業計画書や指導案のようなものをかなり細かく作らなければならないこともあります。

「この一時間で何を扱うのか」
「どういう順番で進めるのか」
「何を目標にするのか」

そういうものを文書にする。まともにやったら、一時間の授業のために一時間以上準備することだってあります。

正直、

こんなこと毎回やっていたら死ぬだろ。

と思います。

しかも、そのうえ部活動まである。授業を良くするための制度なのかもしれませんが、書類を作ることそのものに時間を取られて、教材研究をする時間がなくなったら何をしているのか分かりません。(ちなみに自分は作ったことが以下略)

私立の方が「授業を改善しなければならない圧力」は強い

私が公立高校の先生をあまり信用していない理由は、もう一つあります。

授業を改善しなければならない圧力が、私立より弱いと感じるからです。

私立高校は、大学合格実績がかなり学校経営に直結します。

「あの学校は大学受験に強い」
「この学校に入れば伸びる」

と思ってもらえれば、生徒が集まる。逆に進学実績が落ちれば、学校として普通に困ります。

だから少なくとも、

「生徒を伸ばさなければまずい」

という意識は生まれやすい。

一方、公立は仕組みが違います。授業がものすごく良かったから給料が一気に上がるわけでもない。逆に授業があまり良くなくても、それだけですぐ職を失うわけでもない。

私は、この違いは結構大きいと思っています。

「授業力は二の次。一番大事なのは生活指導」なのか

そして、もう一つ。

教員の世界で、私がかなり違和感を持っている言葉があります。

「授業力は二の次。一番大事なのは生活指導だ」

という考え方です。

特に公立の先生と話していると、こういう話を聞くことがあります。

私は、これが本当によく分かりません。

授業力も生活指導も、どっちも大事です。なぜどちらか一方を選ぶ話になっているのでしょうか。

むしろ生活指導を大切にしたいのであれば、なおさら授業力が必要だと思っています。

授業力がなければ、生活指導も通らなくなる

なぜなら、生徒は教師を本当によく見ているからです。

この先生は分かっている。質問したらちゃんと答えてくれる。難しい問題でも説明できる。この先生の授業を聞けば、自分ができるようになる。

そういうものを、生徒はかなり早い段階で見抜きます。

逆も同じです。

質問しても答えられない。少し突っ込まれると誤魔化す。説明を聞いてもよく分からない。授業を受けても全然できるようにならない。

そんな状態が数日あるだけで、生徒は教師を舐めます。

本当に一瞬です。

そして、一度舐められた教師が、「授業中は静かにしなさい」「提出物を出しなさい」「遅刻するな」「ちゃんと勉強しなさい」と言ったところで、なかなか聞きません。

生徒からすれば、

「いや、まず先生がちゃんとしてくれよ」

となる。

つまり、

授業力がない
↓
生徒からの信頼を失う
↓
生活指導も通らなくなる

という悪循環が普通に起こります。

だから私は、「授業力より生活指導」という考え方自体がおかしいと思っています。

教科力だけでもダメ。でも、生活指導だけでもダメ

教科ができればそれだけで良い教師になる、という話ではありません。

どれだけ数学ができても、生徒を見下す。話を聞かない。約束を守らない。感情的に怒鳴る。

そんな教師なら当然信頼されません。

でも逆に、

「生活指導ができれば授業は多少できなくてもいい」

にもならない。

両方必要です。

教師という仕事は、生徒からある程度敬意を持ってもらわないと成立しないと思っています。

それは、「教師だから偉い」「年上だから言うことを聞け」という話ではありません。

この先生は自分より多くのことを知っている。この先生に質問すれば何か返ってくる。この先生の話を聞けば、自分が伸びる。

そういうものを、生徒に見せる。

その積み重ねで、

「この先生の言うことなら聞こう」

と思ってもらう。

私は、それも教師の仕事だと思っています。

応用が見えているからこそ、基礎を教えられる

そして当然、そのためには教科力が必要です。

私は数学を教えているので数学の話をしますが、大学受験まで指導するのであれば、その先にある入試問題まで見えていてほしいと思っています。

個人的には、東大レベルの問題でもある程度きちんと戦えるくらいの力は持っていてほしい。

別に、

「教師なら東大数学で絶対何点取れ」

という資格試験を作れと言っているわけではありません。

でも、応用が見えているからこそ、基礎を正しく教えられるんですよね。

基礎だけ分かっていれば、基礎を教えられるわけではありません。

例えばある公式を教えるときも、

「これは後でこう使う」
「この考え方と組み合わせる」
「ここはかなり重要」
「逆にここは今は深入りしなくていい」

という先の景色が見えているから、基礎の教え方が決まります。

応用まで知らなければ、その判断ができません。

それなのに、「大事なのは生活指導だから」と言って教科力を軽視する。

私は、それはかなりまずいと思っています。

偏差値の高い学校=授業も優れている、ではない

面白いのは、地域によっては上位層ほど公立高校を目指すことです。

学費も安い。歴史のある進学校も多い。地域トップ校が公立というところも珍しくありません。

だから、

偏差値の高い学校=授業も優れている

と思ってしまいがちです。

でも、これは全く別の話です。

優秀な生徒が集まっていることと、その学校の授業が優秀であることは同じではありません。

極端な話、ものすごくできる生徒を集めて、その生徒たちが勝手に勉強して難関大学へ進学したとしても、学校の進学実績は良くなります。

それを見て、「この学校の授業は素晴らしい」とは限らないわけです。

信用できる先生を簡単に見抜く方法はない

では、生徒や保護者が「この先生は信用できる」と見抜く方法があるのか。

これがまた難しい。

授業が面白い先生が、必ずしも学力を伸ばせるとは限らない。難しいことを話す先生が、本当に教科を深く理解しているとも限らない。宿題が多い先生が熱心とも限らない。合格実績を見ても、その先生が伸ばしたのか、もともと優秀な生徒だったのか分からない。

正直、簡単に見抜く方法はないと思っています。

だから私は、

「学校の先生が言っているから正しい」

と無条件に信用する必要はないと思っています。

先生の説明を聞いて、自分が理解できたのか。実際に問題が解けるようになったのか。以前よりできることが増えたのか。質問したときに、きちんと答えが返ってくるのか。

結局、そこを見るしかありません。

生活指導までやりたいなら、授業力から逃げるな

先日の日常記事で、

「他の先生、普段どんな授業してるんだろう。」

と書きました。

改めて考えてみると、学校の先生がピンキリになる理由はかなり単純なのかもしれません。

他人の授業を見る余裕がない。授業について学び合う機会も少ない。教科力を維持するかどうかは本人次第。そのうえ、「授業力より生活指導」と考えて、授業力を軽視する先生までいる。

そりゃ差もつくよな。

と思っています。

私は、生活指導を軽視しているわけではありません。

むしろ逆です。

生活指導まできちんとやりたいなら、授業力から逃げるな。

私はそう思っています。

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この記事を書いた人

開成中学・高校を経て東京大学へ進学。現在は高校教員として数学・物理を中心に教え、進路指導も担当。

指導の中心は偏差値50前後の生徒ですが、これまで偏差値30程度から70程度まで、幅広い学力層の生徒を指導してきました。通常の授業に加え、希望者向けの応用授業も担当しています。

大切にしているのは、生徒個人に合った勉強法や教材を考えることです。

※このブログは所属先とは関係のない個人ブログです。

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